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【文久永宝】いくらで売れる?種類別の買取相場や価値、歴史を解説

文久永宝買取におけるおすすめの買取業者を紹介します。
文久永宝買取におけるおすすめの買取業者を紹介します。

文久永宝について買取相場など解説します

このページでは次のような流れで文久永宝について紹介します。

  • 文久永宝の種類と買取相場
  • 文久永宝の買取相場を正確に調べる方法
  • 文久永宝の歴史

当サイトでは文久永宝以外の穴銭についても買取相場などを解説していて、次のページで一覧で紹介しています。

文久永宝の種類と買取相場

文久永宝の種類と買取相場

まず、基本的な文久永宝の情報をみていきましょう

文久永宝の価値と買取価格

文久永宝
鋳造期間:1863年~1867年(文久3年~慶応3年)
古銭としての買取価値:ぼちぼち
素材:銅銭
文久永宝は幕末期に鋳造された四文銭で、形状は円形、中央部に正方形の穴が開いています。表面には「文久永寳」の文字が上下右左の順に刻まれていて、裏面には波形模様が刻まれています。

文久永宝の種類について

では、文久永宝の買取相場を解説していきますが、まず重要な点として同じ文久永宝には文字の違いで非常に様々な種類に分類されるという事です。

そして、時代の古いお金なので全ての「銭文」や種類を紹介する事は非常に困難なので、当サイトでは「日本貨幣カタログ」で紹介されている種類の文久永宝について紹介した上で買取相場をまとめて紹介したいと思います。

文久永宝(子銭)の買取相場リスト

  • 銭文の種類
    買取価格
  • 文久永宝「真文」
    買取価格
    買取不可~50円
  • 文久永宝「草文」
    買取価格
    買取不可~50円
  • 文久永宝「玉宝」
    買取価格
    買取不可~80円
  • 文久永宝「深字」
    買取価格
    300円~800円
  • 文久永宝「直永」
    買取価格
    1000円~3000円
  • 文久永宝「降久」
    買取価格
    2000円~5000円

文久永宝(母銭)の買取相場リスト

  • 銭文の種類
    買取価格
  • 文久永宝「真文」
    買取価格
    30000円~70000円
  • 文久永宝「草文」
    買取価格
    2000円~25000円
  • 文久永宝「玉宝」
    買取価格
    2000円~25000円

ここで紹介した文久永宝の買取相場ですが「母銭」については素材の違いや種類自体も多くは触れていません。

その理由として、文久永宝「母銭」の取引事例がほとんど確認できなかった為です。

また、「子銭」と「母銭」の違いを見分けることや「銭文」から文久永宝の種類を見分けること自体も非常に困難です。

なので、文久永宝の買取相場を一覧で紹介した後に素人でも可能な正確に買取価格を調べる方法も紹介します。

文久永宝の買取価格を簡単かつ正確に知る方法

メール査定がおすすめ

上記の文久永宝の買取相場リストはあくまでも目安ですので、正確な買取価格を調べる方法もご紹介します。

それは、古銭買取業者にメール査定を依頼する事です。

文久永宝は写真があればかなり正確な査定が可能ですので、古銭買取業者の問い合わせフォームから写真を添付して送ることで、簡単に買取価値が明らかになります。

実物を見てもらえるメール査定は状態も考慮した古銭の正確な価値を知る為の最善の方法です!

特に、文久永宝は種類と状態の判断も難しいのでメール査定にて正確な査定をしてもらう事をおすすめします。

そして、メール査定であれば買取は簡単に断れますのでご安心ください。

古銭をメール査定してもらう方法やおすすめの古銭買取業者は次も参考にしてください

文久永宝買取におけるおすすめ買取業者を紹介

優秀な古銭買取業者に依頼をするだけで、特に手間をかけずにお手軽かつ安心に文久永宝の高価買取が実現可能です。メール査定にも対応している古銭買取業者なので、穴銭の買取相場を知りたい際にもおすすめな古銭買取業者です!

  • 古銭買取福ちゃん

    福ちゃんの古銭買取データ早見表
    買取価格(古銭) 8.0 ポイント8
    買取価格(記念硬貨) 7.5 ポイント7_5
    顧客対応(サービス) 8.0 ポイント8
    対応のスピード 7.0 ポイント7
  • バイセル(旧スピード買取.JP)

    バイセルの古銭買取データ早見表
    買取価格(古銭) 7.0 ポイント7
    買取価格(記念硬貨) 7.0 ポイント7
    顧客対応(サービス) 6.0 ポイント6
    対応のスピード 8.0 ポイント8

文久永宝の歴史

文久永宝の歴史

文久永宝とは幕末から昭和時代にかけて流通した穴銭の一種で、厳密な年度でいうと1863年から1953年まで通用していた事から約100年近く間流通していた穴銭となっています。(鋳造機関とは異なります)

江戸時代末期に鋳造された銭貨ですので、地方銭を除けば日本で最後に幕府が公式に鋳造した穴銭となっています。

この文久永宝は鋳造された時期ですが、江戸時代の自転車操業ともいえる貨幣事情も上で発行された貨幣となっているので、その点も踏まえて紹介したいと思います。

不人気な寛永通宝の代用として鋳造された文久永宝

文久永宝が鋳造された理由として、当時鋳造していた「製鉄製寛永通宝4文銭」が不評な上に鋳造コストも高かったことから、銅銭の4文銭を再び鋳造しようという事で鋳造されたのが「文久永宝」でした。

「鉄銭や銅銭ってどういうこと?」と思われるかもしれませんが、その辺の貨幣事情に関してはこちらの寛永通宝のページで解説していますので見ていただければと思います。

簡単に説明しますと、江戸時代では元々寛永通宝の1文銅銭が流通していたのですが、銅の算出が不足し銅が高騰してきたことから、鉄や真鍮といった素材に変更して穴銭を鋳造していたという流れがあります。

その流れで再び鉄製の四文銭を鋳造したけど不評だったので、銅製の4文銭を鋳造しようとなり「文久永宝」が鋳造されたというのが誕生の流れです。

ただし、銅製の四文銭「文久永宝」を鋳造するにあたり大きな問題があります。

それが前述にもあった、当時は素材である銅の算出量が絶対的な不足し高騰していたという事です。

その中でどうやって滞りなく文久永宝を鋳造したかというと、量目を減らす、つまりは素材の使用量を減らすという手法がとられます。

ちなみに、この素材が足りないから量目を減らして新しい貨幣を鋳造するという手法ですが、江戸時代では割と普通の事で小判では頻繁に行われていた手法でもあります。

その結果、四文銭「文久永宝」は約3.4gで鋳造されたわけですが、かつて鋳造されていた同じ銅製の1文銭「寛永通宝」が3.7gでした。

この1文銭が3.7gに対して4文銭が3.4gという、貨幣価値と量目のアンバランスというのは問題が生じました

というのも、貨幣価値として1文など額面は決められているのですが、使用されている「素材の量」というのも額面とは別で貨幣価値として重要視されていたのです。

この辺の江戸時代の貨幣事情について詳しくは偽造が横行した天保通宝のページでも解説していますので詳しくはそちらも見ていただければと思います。

こうして素材量を減らした「文久永宝」が4文銭として鋳造されました。

今月のおすすめ業者!

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