天保通宝について買取相場など解説します
このページでは次のような流れで天保通宝について紹介します。
- 天保通宝の種類と買取相場
- 天保通宝の買取相場を正確に調べる方法
- 天保通宝の歴史
当サイトでは天保通宝以外の穴銭についても買取相場などを解説していて、次のページで一覧で紹介しています。
動画にまとめていただきました!
天保通宝の買取相場や歴史について当サイトも参考にした動画を作成いただきましたので紹介させていただきます。
天保通宝の種類と買取相場
まず、基本的な天保通宝の情報をみていきましょう
天保通宝の価値と買取価格
天保通宝の種類について
では、天保通宝の詳しい買取相場を解説していきますが、まず重要な点として同じ天保通宝でも種類が20種類以上にわたり、更には「不知銭」と呼ばれる素性の不明な存在するという点です。
不知銭の中には20万円以上の買取相場が期待できる種類もあるのですが、全ての「銭文」や種類を紹介する事は非常に困難なので、当サイトでは「日本貨幣カタログ」で紹介されている種類の天保通宝について紹介した上で買取相場をまとめて紹介したいと思います。
天保通宝「子銭」の買取相場リスト
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銭文の種類買取価格
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天保通宝「本座長郭」買取価格100円~300円
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天保通宝「本座細郭」買取価格100円~300円
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天保通宝「本座広郭」買取価格50円~250円
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天保通宝「本座中郭」買取価格1000円~3000円
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天保通宝「薩摩短尾通横郭」買取価格500円~1500円
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天保通宝「薩摩広郭」買取価格200円~450円
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天保通宝「福岡離郭」買取価格2500円~5000円
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天保通宝「岡 痩通」買取価格300円~700円
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天保通宝「高知額輪短尾通」買取価格400円~1000円
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天保通宝「山口曳尾」買取価格2000円~3500円
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天保通宝「山口方字」買取価格1000円~2000円
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天保通宝「山口大字平通」買取価格5000円~15000円
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天保通宝「水戸濶字退宝」買取価格300円~700円
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天保通宝「水戸短足宝」買取価格300円~700円
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天保通宝「水戸大字」買取価格500円~1300円
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天保通宝「焼津短貝宝」買取価格1500円~2500円
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天保通宝「焼津長貝宝」買取価格8000円~20000円
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天保通宝「仙台広郭長足宝」買取価格15000円~40000円
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天保通宝「秋田長郭」買取価格1500円~2500円
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天保通宝「秋田広郭」買取価格2000円~3500円
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天保通宝「秋田細郭」買取価格6000円~10000円
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天保通宝「南部大字」買取価格4000円~7000円
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天保通宝「南部銅山手」買取価格4000円~7000円
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天保通宝「南部小字」買取価格15000円~50000円
以上が天保通宝の買取相場についてですが、密鋳が横行していた穴銭ということもあり当サイトで紹介している以上に天保通宝には「不知銭」も含めて種類が多岐に渡ります。
ただし、不知銭の判別はおろかこのページで紹介している天保通宝の違いを判別する事自体が素人には非常に困難です。
更に、情報がほとんどないことから当ページでも母銭の買取相場は紹介していません。
ですので、素人でも可能な正確に天保通宝の買取価格を調べる方法も紹介します。
天保通宝の買取価格を簡単かつ正確に知る方法
上記の天保通宝の買取相場リストはあくまでも目安ですし、種類を見分けることは困難ですので、素人でも正確に天保通宝の買取価格を調べる方法もご紹介します。
それは、古銭買取業者にメール査定を依頼する事です。
天保通宝は写真があればかなり正確な査定が可能ですので、古銭買取業者の問い合わせフォームから写真を添付して送ることで、簡単に買取価値が明らかになります。
実物を見てもらえるメール査定は状態も考慮した古銭の正確な価値を知る為の最善の方法です!
特に、天保通宝は種類と状態の判断も難しいのでメール査定にて正確な査定をしてもらう事をおすすめします。
そして、メール査定であれば買取は簡単に断れますのでご安心ください。
古銭をメール査定してもらう方法やおすすめの古銭買取業者は次も参考にしてください
天保通宝買取におけるおすすめ買取業者を紹介
優秀な古銭買取業者に依頼をするだけで、特に手間をかけずにお手軽かつ安心に天保通宝の高価買取が実現可能です。メール査定にも対応している古銭買取業者なので、穴銭の買取相場を知りたい際にもおすすめな古銭買取業者です!
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古銭買取福ちゃん
福ちゃんの古銭買取データ早見表 買取価格(古銭) 8.0点 買取価格(記念硬貨) 7.5点 顧客対応(サービス) 8.0点 対応のスピード 7.0点 -
バイセル(旧スピード買取.JP)
バイセルの古銭買取データ早見表 買取価格(古銭) 7.0点 買取価格(記念硬貨) 7.0点 顧客対応(サービス) 6.0点 対応のスピード 8.0点
天保通宝の歴史
天保通宝とは江戸時代後期から明治時代にかけて流通した穴銭の一種で、厳密な年度でいうと1835年から1891年まで通用していた事から大体60年弱の間流通していた穴銭となっています。
この天保通宝は江戸時代に流通していた穴銭の中でも寛永通宝に次いで知名度の高い銅銭と言えるのですが、色々と問題児ともいえる穴銭でした。
その点も踏まえて、天保通宝について紹介していきます。
高額な額面として発行された天保通宝
当時既に流通していた銭貨、寛永通宝が1枚1文として通用していたんですが、この天保通宝はなんと1枚100文の額面に設定されました。
そのため「当百銭」とも呼ばれていましたが、実際は100文ではなく80文での通用となり、最終的には40文程度と当初設定した額面の半額以下の価値に落ちてしまったようです。
現代風に例えると、新100円玉が発行されたけど実際には80円の価値としてしか使用ができず、最終的に40円の価値としてしか取引されなくなったという感じです。
何故こんなことになったのかというと、当時の貨幣事情に理由があります。
江戸時代の貨幣価値の決まり方ですが、「寛永通宝=1文」「天保通宝=100文」のように江戸幕府が制定する額面価値は存在しましたが、もう一つ重要な要素として「材質事態の価値」が重要視されていました。
極端な例で言うと、「アルミ製の1円玉」と「純金製の1円玉」では明らかに後者の方が高い価値があることがわかると思います。
また、もしもアルミという材質の価値が異常なほど高騰した場合、高騰の前後では1円玉100枚の価値は高騰後の方が高いという事は何となくわかると思います。
現代では政府への信頼により材質によって価値が変わるという事はないようにルールが考えられていますが、江戸時代はそうではなく「貨幣の材質」という物理的価値は非常に重要視されていました。
どれくらい重要かというと、江戸時代後半では銅の価値が高騰したことから、「銅銭の寛永通宝1枚」と「鉄銭の寛永通宝4枚」が同等で取引されていた時期があります。両方とも同じ1文という額面で発行されていたのにも関わらずです。
さて、ここで寛永通宝と天保通宝の重量を比べてみますと次の通りになります。(分かりやすいように簡略化しています)
- 寛永通宝・・・約3.7g
- 天保通宝・・・約20.6g
1文の寛永通宝が3.7gに対して、100文の天保通宝は20.6gとなっていて、天保通宝を1文当たりの重量に換算にすると僅か0.2g、寛永通宝の約1/18となっています。
つまり、天保通宝は「額面」に対する「材質の量」が異常なほどアンバランスだったというわけです。
この状況下で、寛永通宝100枚と天保通宝1枚を対等の貨幣として取引しろといわれても民衆は当然に納得しません。
こういった事情から、天保通宝は100文ではなく80文として通用することとなり、材質の価値が更に重要視される用になると40文の価値に下がってしまったというわけです。
このように、現在では考えられないくらい昔の貨幣事情というのはザルだったという事が分かるかと思います。
「密鋳」が横行した天保通宝
さて、天保通宝は「額面」に対する「材質の量」が異常なほどアンバランスだったという事は前述しましたが、これが原因として天保通宝は全国的に密鋳が横行することになります。
密鋳とは現在でいう「偽造貨幣を作る」という事ですね。
現代では紙幣の偽造は大きな罪であり、偽造が出来ないよう紙幣には「透かし」をはじめとした様々な技術が施されていて、プリンターでの印刷も規制されていたり、パソコンで紙幣を読み取ろうとすると読み込めないといった措置が取られるくらいにまで徹底して偽造対策が行われています。
その大きな理由として、紙幣が簡単に偽造できると、一枚10円程度で1万円札が量産できることとなり偽造紙幣が大量に出回ると貨幣価値が崩壊して深刻な経済の混乱を引き起こされるからです。
もしもプリンターの両面印刷で1万円が簡単に偽造できるとしたら、偽造する人間が大量に出るという事は想像できますよね?
なので、低コストで大きな経済価値を持つ貨幣の偽造が可能というのは経済において非常に危険なので偽造に関する対策は徹底されているのです。
しかし、天保通宝はそうではありませんでした。
簡単に言うと、天保通宝は低コストで高い額面の貨幣が量産可能だったという、まさに偽造するのにうってつけの貨幣だったのです。
天保通宝は素材である地金部分は僅か5~6文の価値しかなく、さらに工賃などを考慮しても一枚10文ほどのコストで製造が可能だったので、偽造するほど大量に儲かるという非常に偽造コスパに優れた貨幣だったのです。
作れば作るほど利益を得られるという事もあり、天保通宝の密鋳は横行し、経済にも大きな混乱を巻き起こす要因となりました。
密鋳に関する変わったエピソードとして、この時代に薩摩藩が突然「琉球通宝」という天保通宝と同じような形状の穴銭を公式に作るようになったのですが、これは天保通宝を密鋳する為のカモフラージュだともいわれています。
というのも、当時の薩摩藩では貨幣の鋳造を行っていないにも関わらず突然名乗り出て、さらには薩摩の方で作られたとされる密鋳天保通宝が発見されているからです。
このように、各藩が地方銭を公式に鋳造できるように申請して天保通宝の密鋳を企てていたのではないかというエピソードはいくつか見つかりますので調べてみると面白いかと思います。
ただ、密鋳が横行したことは当時としては悪い事でしたが、現在の古銭としての価値は正規の天保通宝よりも現存数が少ない密鋳銭のほうが価値が高い傾向にあるというのもちょっと皮肉めいたものを感じますよね
以上が天保通宝の歴史についてでした。