内閣制度創始100周年記念硬貨の各種額面の買取相場と概要一覧
このページでは内閣制度創始100周年記念硬貨の買取相場と概要情報を額面ごとに先に一覧でご紹介し、そのあとで下記内容をご紹介しています。
- 内閣制度創始100周年記念硬貨の買取相場と概要の一覧
- おすすめの記念硬貨買取業者について
- 内閣制度創始100周年記念硬貨の詳細情報
- 内閣制度の創始について
他の記念硬貨の買取相場も一覧で紹介していたりやおすすめの古銭(記念硬貨)買取業者も紹介していますのでぜひ参考にしてください。(買取業界では基本的に古銭買取業者=記念硬貨買取業者です)
動画にまとめていただきました!
内閣制度創始100周年記念硬貨の買取相場や価値について当サイトも参考にし、動画を作成いただきましたのでここでも紹介させていただきます。
内閣制度創始100周年記念500円硬貨の概要まとめ

内閣制度創始100周年記念ミントセットの概要まとめ

内閣制度創始100周年記念硬貨の買取価格一覧
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記念硬貨の種類未使用美品並品
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500円白銅貨未使用額面美品額面並品額面
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ミントセット未使用額面~1500円美品額面並品額面(1300円)
過去の内閣制度創始100周年記念硬貨の買取価格一覧
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記念硬貨の種類未使用美品並品
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500円白銅貨未使用600円~800円美品500円~600円並品額面
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ミントセット未使用1300円~1500円美品1200円~1300円並品1170円~1200円
過去の買取相場リスト
メルカリでの売却相場
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記念硬貨の種類極美並品
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500円白銅貨極美600円前後並品額面
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ミントセット極美2000円以上並品1500円前後
記念硬貨買取におけるおすすめ買取業者を紹介
優秀な記念硬貨買取業者に依頼をするだけで、特に手間をかけずにお手軽かつ安心に記念硬貨の高価買取が実現可能です。
ですので、先に記念硬貨買取におけるおすすめ買取業者をご紹介します。記念硬貨の買取は古銭買取業者が併せて行っているので、【おすすめ記念硬貨買取業者=おすすめ古銭買取業者】となっています。
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古銭買取福ちゃん
福ちゃんの古銭買取データ早見表 買取価格(古銭) 8.0点 買取価格(記念硬貨) 7.5点 顧客対応(サービス) 8.0点 対応のスピード 7.0点 -
バイセル(旧スピード買取.JP)
バイセルの古銭買取データ早見表 買取価格(古銭) 7.0点 買取価格(記念硬貨) 7.0点 顧客対応(サービス) 6.0点 対応のスピード 8.0点
内閣制度創始100周年記念硬貨の買取相場と詳細

内閣制度創始100周年記念硬貨とは、1885年に始まった内閣制度が1985年に100年を迎えた記念で発行された記念硬貨です。
種類は500円の1種類が発行されており、別名「内閣制度創始100周年記念500円白銅貨」と呼ばれることもあります。
内閣制度創始100周年記念硬貨は単体だけではなく、同年の「ミントセット(貨幣セット)」にも組み込まれて発行されており、単体の場合と買取相場も異なります。
では、各種類ごとに詳細を紹介していきましょう。
内閣制度創始100周年記念500円白銅貨について

内閣制度創始100周年記念500円白銅貨は、表面の図柄は「内閣総理大臣官邸」、裏面には「内閣の印」がデザインされています。裏表ともに内閣に関連する図柄で統一されています。
内閣制度創始100周年記念500円白銅貨の発行枚数は7000万枚と非常に多く、大きさは30mm・重量は13gと、ひとつ前に発行された「つくば科学技術博500円記念硬貨」と同サイズです。素材は銅75%・ニッケル25%でできています。
内閣制度創始100周年記念500円白銅貨の買取相場は、未使用の綺麗な状態でも600円位となります。
発行枚数が7000万枚と非常に多いため希少価値は低い為で、あまり綺麗な状態でなければ額面以上の価値は持ちません。
ですが、下記の「ミントセット」であればコレクションとして価値が付く場合もあります。
銀行で両替すると額面以上にはなりませんので、買取業者の写真査定を活用して価値を判断されることをおすすめします。
内閣制度創始100周年記念硬貨ミントセットについて

内閣制度創始100周年記念硬貨も、他の記念硬貨と同様にミントセット(貨幣セット)が発売されました。
ですが、「記念硬貨が発行されたから発売されたセット」ではなく「毎年発行されている貨幣セットに内閣制度創始100周年記念硬貨を組み込んだもの」になります。
買取価格は大体1500円前後までが期待できますが、ミントセットの販売部数も74万6000部と多く希少性が高くない為、こちらもあまり値上がりしていません。
けれどもコレクションとして綺麗な状態や、他の記念硬貨や古銭と合わせて買取に出すことで額面以上の買取価格が付くケースもあります。
内閣制度の創始について

情勢の変化と目前に迫った国会の開設に備え、これからの新しい時代に適応するため、1885年に「内閣制度」が発足しました。
明治時代に入ると、これまでの江戸幕府に変わり「明治政府」が日本の統治を始めます。内閣制度の創始前までは、1868年に布告された「太政官制度」長らくが採用されていました。
ですが、太政官制度だと”トップを務める人数が非常に少ない”というデメリットがあり、権力の分立が難しい状態でした。
そんな中、板垣退助らが海外に視察に向かう中で、海外諸国の進んだ政治制度を目の当たりにします。
そして、国をまとめるには同じ目的を持つ人々で構成された「政党」を持つ必要があると感じ、明治政府にこの内容を記した「民撰議院設立建白書」を提出します。
そして”政党をまとめるためには国の代表機関を作る必要がある”との結論に達し、国の最高機関である国会が誕生することになりました。
初代総理大臣には「三条実美」と「伊藤博文」2人の名が挙がっており、どちらが初代内閣総理大臣を務めるかが注目されていました。
三条実美は家柄も良い侯爵でしたが、一方で伊藤博文は貧農の出で、その差は歴然としていましたが、伊藤博文は留学や海外視察の経験があり、英語力に長けていたことが違いとして挙げられます。
当時は外国からの欧文電報を「赤電」と呼び、政府へはたくさんの赤電が届いていました。
「総理大臣になる人物は赤電が読める人でないと勤まらない」という声が上がり、初代総理大臣には伊藤博文が就任することになったのです。