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日伯交流年・移住百年記念硬貨の買取相場と詳細情報をまとめてご紹介

日伯交流年・移住百年記念硬貨買取におけるおすすめの買取業者を紹介します。
日伯交流年・移住百年記念硬貨買取におけるおすすめの買取業者を紹介します。

日伯交流年・移住百年記念硬貨の買取相場と概要

このページでは日伯交流年・移住百年記念硬貨の買取相場と概要情報を額面ごとに先に一覧でご紹介し、そのあとで下記内容をご紹介しています。

  • 日伯交流年・移住百年記念硬貨の買取相場と概要の一覧
  • おすすめの記念硬貨買取業者について
  • 日伯交流年・移住百年記念硬貨の詳細情報
  • 日本とブラジルの交流について

他の記念硬貨の買取相場も一覧で紹介していたりやおすすめの古銭(記念硬貨)買取業者も紹介していますのでぜひ参考にしてください。(買取業界では基本的に古銭買取業者=記念硬貨買取業者です)

日伯交流年・移住百年記念500円黄銅貨の買取相場と概要

日伯交流年・移住百年記念硬貨500円黄銅貨
発行年度:2008年(平成20年)
発行枚数:480万枚
量目・サイズ:7g・直径26.5mm
素材の品位:銅:720、亜鉛:200、ニッケル:80
当時の販売価格:等価で両替
絵柄について:表面には移民船として使われた事のある「笠戸丸」とブラジルが描かれ、裏面には日本の象徴「桜」とブラジルの象徴「コーヒーの実」が描かれています。

日伯交流年・移住百年記念硬貨の買取価格一覧

  • 記念硬貨の種類
    未使用
    美品
    並品
  • 500円黄銅貨
    未使用
    額面~600円
     
    美品
    額面(500円)
     
    並品
    額面(500円)
     

過去の日伯交流年・移住百年記念硬貨の買取価格一覧

  • 記念硬貨の種類
    未使用
    美品
    並品
  • 500円黄銅貨
    未使用
    600円~800円
    美品
    500円~600円
    並品
    額面

過去の買取相場リスト

日伯交流年・移住百年記念硬貨の買取相場と詳細

裁判所制度100周年記念硬貨

日伯交流年・移住百年記念硬貨は、日本ブラジル交流年及び日本人ブラジル移住100周年を記念し、2008年(平成20年)6月18日に500円硬貨1種類のみが480万枚が発行されました。

正式名称は「日本ブラジル交流年及び日本人ブラジル移住100周年記念500円ニッケル黄銅貨」といいますが、長いため略称で呼ばれることも多いです。

記念硬貨の図柄は、表面に「笠戸丸」と「ブラジルの地図」、裏面には「桜とコーヒーの実」が描かれています。ちなみに、日伯の「伯」とはブラジルという意味を持ち、記念硬貨表に描かれている「笠戸丸」は、第一回日本人移民を乗せた船の名前です。

日本ブラジル交流年及び日本人ブラジル移住100周年記念硬貨は世界で初めて「異形斜めギザ」を採用し、他にも光る海面を再現するために角度により色味が変わるグラデーションを採用していたりなど、工夫と発展に富んだ一枚となっています。

素材には銅が72%・亜鉛が20%・ニッケルが8%使われており、直径は26.5mm・量目(重さ)は7gと、現行の通常500円硬貨と同じサイズです。

日本ブラジル交流年及び日本人ブラジル移住100周年記念硬貨は、本当は2008年3月には発行される予定でした。

しかし、当時図柄として構想していた「日本移民ブラジル上陸記念碑」の著作権の面で問題が発生し、急遽こちらの笠戸丸とブラジルの地図を描いたそうです。他にも記念事業などの都合により、発行は三か月後の2008年6月にまで延期されました。

記念硬貨買取における「日伯交流年・移住百年記念硬貨」の買取価格は、未使用の綺麗な状態であれば600円前後となります。

発行枚数が480万枚と多いため、並品になると際立ったプレミア価値はありませんが、銀行で両替すると額面通りの500円との換金になってしまいます。

そのため、綺麗な状態の日伯交流年・移住百年記念硬貨をお持ちの場合や、他の記念硬貨の価値もまとめて知りたい場合は、記念硬貨買取業者の写真査定を利用して価値を判断されることをおすすめします。

日本とブラジルの交流について

日本とブラジルの交流について

上述の”日本ブラジル交流年及び日本人ブラジル移住100周年記念硬貨”発行のきっかけになった「日本ブラジル交流年」とは、日本人が初めてブラジルに移住してから100周年の記念年のことを指します。

日本人が初めてブラジルに移住したのは1908年(明治41年)のことで、当時781人の日本人がブラジル・サントス港に降り立ちました。

当時明治時代の最中だった日本は、いち早く世界の仲間入りを果たしたく、そしてブラジルはコーヒー生産のための働き手が不足している状態でした。そして双国の条件合致により、1895年(明治28年)に日伯修交通商航海条約が結ばれ、渡航に至ります。

そしてブラジルには多くの入植地が作られ、その後、日本語小学校や日本人会も作られました。ですが、戦争によって日本とブラジルは敵対国になってしまい、交流は一時停滞します。

けれども戦後のサンパウロ市創立400年祭をきっかけに交流は再開し、ブラジルへ日本館を寄贈したり、文化体育使節団を派遣するなど、以前にも増して盛んな交流が行われるようになります。

2004年(平成16年)には、当時総理大臣だった小泉純一郎がブラジルを訪問し、そのときに「日本ブラジル交流年」が定められました。

日本ブラジル交流年となる2008年(平成20年)には記念式典が開かれ、大臣などの式辞の他、小学生の交流会などが盛大に行われました。 現在の日本とブラジルは、今後発展していく未来に沿って、エネルギー分野や科学技術などの幅広い分野で協力関係を深めていくことを望んでいます。

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