奄美群島復帰50周年記念硬貨の買取相場と概要
このページでは奄美群島復帰50周年記念硬貨の買取相場と概要情報を各額面ごとに先に一覧でご紹介し、そのあとで次の内容ご紹介しています。
- 奄美群島復帰50周年記念硬貨の買取相場と概要の一覧
- おすすめの記念硬貨買取業者について
- 奄美群島復帰50周年記念硬貨の詳細情報
- 奄美群島復帰50周年について
他の記念硬貨の買取相場も一覧で紹介していたりやおすすめの古銭(記念硬貨)買取業者も紹介していますのでぜひ参考にしてください。(買取業界では基本的に古銭買取業者=記念硬貨買取業者です)
動画にまとめていただきました!
奄美群島復帰50周年記念硬貨の買取相場や価値について当サイトも参考にし、動画を作成いただきましたのでここでも紹介させていただきます。
奄美群島復帰50周年記念1000円銀貨の概要まとめ

奄美群島復帰50周年記念硬貨の買取価格一覧
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記念硬貨の種類未使用美品並品
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1000円銀貨未使用2000円~3000円美品額面~2000円並品額面(1000円)
過去の奄美群島復帰50周年記念硬貨の買取価格一覧
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記念硬貨の種類未使用美品並品
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1000円銀貨未使用2500円~5000円美品1500円~2500円並品1000円~1500円
過去の買取相場リスト
メルカリでの売却相場
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記念硬貨の種類極美並品
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1000円銀貨極美6000円前後並品4000円前後
記念硬貨買取におけるおすすめ買取業者を紹介
優秀な記念硬貨買取業者に依頼をするだけで、特に手間をかけずにお手軽かつ安心に記念硬貨の高価買取が実現可能です。
ですので、先に記念硬貨買取におけるおすすめ買取業者をご紹介します。記念硬貨の買取は古銭買取業者が併せて行っているので、【おすすめ記念硬貨買取業者=おすすめ古銭買取業者】となっています。
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古銭買取福ちゃん
福ちゃんの古銭買取データ早見表 買取価格(古銭) 8.0点 買取価格(記念硬貨) 7.5点 顧客対応(サービス) 8.0点 対応のスピード 7.0点 -
バイセル(旧スピード買取.JP)
バイセルの古銭買取データ早見表 買取価格(古銭) 7.0点 買取価格(記念硬貨) 7.0点 顧客対応(サービス) 6.0点 対応のスピード 8.0点
奄美群島復帰50周年記念硬貨の買取相場と詳細

「奄美群島復帰50周年記念硬貨」とは、奄美群島の復帰から50周年を記念して発行された記念硬貨で、平成15年に発行されました。
額面は1000円の純銀貨1種類ですが、額面以上の製造費用をかけて作る「プレミアム型記念硬貨」であり、全て単体プルーフ貨幣として50000部発行されました。
表面に奄美諸島の固有種の鳥「ルリカケス」と「テッポウユリ」がカラーで印刷され、裏面には「奄美群島の地図」と”奄美群島復帰五十年”の印字が描かれています。
さて、奄美群島復帰50周年記念硬貨は、日本で発行されたカラーコインの中では2番目になりますが、印刷方法の違いにおいてはある意味”日本で初めて”のカラーコインだともいえます。
日本で発行された1最初のカラーコイン「第5回アジア冬季競技大会記念硬貨」は、単色を組み合わせることで色を表現する方法が取られました。
ですが、今回ご紹介の「奄美群島復帰50周年記念硬貨」は、上記コインと同じく”パッド印刷”という方法が使われていることには変わりないのですが、網点の大きさや数によって色やグラデーションを表現する方法が採用されています。
使用したインクのカラーは、オレンジ、黄緑、白、緑、黄色、黒、青、紫、赤の9色にも渡り、グラデーションでの諧調を指定することが出来るため細かな色彩表現が可能になり、ルリカケスならではの彩色を記念硬貨で表現することに成功しました。
そんな「奄美群島復帰50周年記念1000円銀貨」の買取価格ですが、未使用で綺麗な状態で3000円前後までの買取価格が期待できます。
発行枚数や販売価格など図柄以外同じ条件で前回発行された最初のカラーコイン「第5回アジア冬季競技大会記念硬貨」と比べると買取価格は劣りますが、これは人気(需要)の違いからここまでの価格差がついています。
ただし、人気のない記念硬貨というわけでなく、造幣局販売時の定価は6000円でしたが、多数の申し込みがあったため購入には抽選形式が取られ、当選倍率は33.47倍にまで膨れ上がりました。
ちなみに、一応銀行などでも換金することは出来ますが、銀行での換金だと額面通りの1000円での引換になってしまうので、記念硬貨買取業者(古銭買取業者)の利用をおすすめ致します。
奄美群島の復帰について

奄美群島は九州の南端に位置し、奄美大島を含む全8つの有人島からなる島しょ群です。全域が亜熱帯の気候に属しており、奄美群島ならではの珍しい生物も多数生息しています。
また、琉球文化圏の中に位置するため、南下するに従い、琉球文化の色が濃くなっていきます。
ですが、第二次世界大戦で日本が降伏すると、奄美群島はGHQが定めた日本の範囲から除かれたため、アメリカ軍に施政権が移ります。
ですが、本土と分離されたため、今までの農作物の販売経路が途絶え、奄美群島の経済は停滞し、飢餓の兆候さえ出てきてしまいます。そのうえ、戦争で疲弊した沖縄県の回復をはかるため多額の資金が投入され、奄美群島は物資・金銭共に乏しい地になってしまったのです。
ゆえに奄美群島の人々は祖国復帰運動を行うようになり、各地でのハンガーストライキの他、小中学生が血判状を提出するまでに激化しました。
そしてアメリカはついに、”復帰運動が激しい・基地が少ない”の2点を理由に、奄美群島を日本へ返還します。その日はちょうどクリスマスであったことから、米国政府は「日本へのプレゼント」として返還を発表しました。
ですが、すぐに問題が解決したわけではなく、沖縄県は未だアメリカの施政権下にありました。ゆえに沖縄に出稼ぎに行った奄美群島の出身者は、戸籍上は外国人になってしまったため、就労が難しくなるなどの社会的制約に悩まされることになります。
今では美しい自然と”東洋のガラパゴス”とも言われるほどに珍しい生態系、そして亜熱帯ならではの景観美から観光地としても人気の高い奄美群島ですが、平和な現在に至るまでは様々な歴史があったのです。