古銭買い取り業者徹底比較!

【承和昌宝】いくらで売れる?種類別の買取相場や価値、歴史を解説

承和昌宝買取におけるおすすめの買取業者を紹介します。
承和昌宝買取におけるおすすめの買取業者を紹介します。

承和昌宝について買取相場など解説します

このページでは次のような流れで承和昌宝について紹介します。

  • 承和昌宝の種類と買取相場
  • 承和昌宝の買取相場を正確に調べる方法
  • 承和昌宝の歴史

当サイトでは承和昌宝以外の穴銭についても買取相場などを解説していて、次のページで一覧で紹介しています。

動画にまとめていただきました!

承和昌宝の買取相場や歴史について当サイトも参考にした動画を作成いただきましたので紹介させていただきます。

承和昌宝の種類と買取相場

承和昌宝の種類と買取相場

まず、基本的な承和昌宝の情報をみていきましょう

承和昌寶の価値と買取価格

承和昌寶
鋳造期間:835年~(承和2年~)
古銭としての買取価値:非常に高い
素材:銅
皇朝十二銭の一つであり、【じょうわしょうほう】と読みます。表面に「承和昌寶」の文字が表記されており、裏面は無紋です。サイズは直径が21ミリ前後の円形の貨幣で、中央に正方形の穴がうがたれています。量目はおおよそ2.5グラム程度で、素材には銅が主に使用されています。

承和昌宝の種類について

では、承和昌宝の詳しい買取相場を解説していきますが、まず重要な点として同じ承和昌宝でも書体などの違いによって、価値や買取相場が変わるという点です。

時代の古いお金なので、全ての「銭文」や種類を紹介する事は非常に困難なので、当サイトでは「日本貨幣カタログ」で紹介されている種類の承和昌宝の「銭文」を紹介した上で買取相場をまとめて紹介したいと思います。

  • 承和昌宝「小字(標準戦)」 - 銭径・銭文が小さく、「和」の字の2画目が横にひかれている
  • 承和昌宝「大様」 - 銭径・銭文が大きく、「和」の字の2画目が斜めになっている
承和昌宝の特徴

今回紹介した承和昌宝の種類を見分ける事は容易です。

大様は「和」の「禾」の横棒がかなり斜めになっているので、見れば素人でも分かるようになっています。

ただし、他にも種類があり、状態によっても買取相場は変わってきますので、承和昌宝の買取相場を一覧で紹介した後に素人でも可能な正確に買取価格を調べる方法も紹介します。

承和昌宝の買取相場リスト

  • 銭文の種類
    買取価格
  • 承和昌宝「小字(標準戦)」
    買取価格
    15000円~40000円
  • 承和昌宝「大様」
    買取価格
    40000円~100000円

承和昌宝の買取価格を簡単かつ正確に知る方法

メール査定がおすすめ

上記の承和昌宝の買取相場リストはあくまでも目安ですので、正確な買取価格を調べる方法もご紹介します。

それは、古銭買取業者にメール査定を依頼する事です。

承和昌宝は写真があればかなり正確な査定が可能ですので、古銭買取業者の問い合わせフォームから写真を添付して送ることで、簡単に買取価値が明らかになります。

実物を見てもらえるメール査定は状態も考慮した古銭の正確な価値を知る為の最善の方法です!

特に、承和昌宝は種類と状態の判断も難しいのでメール査定にて正確な査定をしてもらう事をおすすめします。

そして、メール査定であれば買取は簡単に断れますのでご安心ください。

古銭をメール査定してもらう方法やおすすめの古銭買取業者は次も参考にしてください

承和昌宝買取におけるおすすめ買取業者を紹介

優秀な古銭買取業者に依頼をするだけで、特に手間をかけずにお手軽かつ安心に承和昌宝の高価買取が実現可能です。メール査定にも対応している古銭買取業者なので、穴銭の買取相場を知りたい際にもおすすめな古銭買取業者です!

  • 古銭買取福ちゃん

    福ちゃんの古銭買取データ早見表
    買取価格(古銭) 8.0 ポイント8
    買取価格(記念硬貨) 7.5 ポイント7_5
    顧客対応(サービス) 8.0 ポイント8
    対応のスピード 7.0 ポイント7
  • バイセル(旧スピード買取.JP)

    バイセルの古銭買取データ早見表
    買取価格(古銭) 7.0 ポイント7
    買取価格(記念硬貨) 7.0 ポイント7
    顧客対応(サービス) 6.0 ポイント6
    対応のスピード 8.0 ポイント8

承和昌宝の歴史

承和昌宝の歴史

承和昌宝(承和昌寳)は“じょうわしょうほう”と読み、835年(承和2年)に日本で鋳造・発行されていた穴銭です。

ひとつ前の穴銭「富寿神宝」が発行されてから17年が経ち、富寿神宝の価値が下落したことにより、新規に承和昌宝を発行したという記録があります。(文献:『続日本後紀』巻四)

日本ではじめて、元号が名前につけられた貨幣でもあり、848年に長年大宝が発行されるまで使用されました。

承和昌宝以降、銅銭のほとんどが承和昌宝の大きさになっているため、それ以後の銅銭の基準サイズになったともいえます。

当時、朝廷は財政難に陥っていたため、この頃の銅銭にはよくあった話ですが「承和昌宝1枚と旧銅銭の富寿神宝10枚が同等」として交換されていました。

交換すればするほど損をする仕組みだったので、旧銅銭の富寿神宝を溶かして勝手に承和昌宝を作る、いわゆる“私鋳”が横行したと言われています。

また、承和昌宝は四国などでも発掘されており、日本国内のある程度の広い範囲で使われたのではないかとも考察されていて、この時代には遣唐使なども派遣されていた事から、国内は近距離だったのでしょうね。

今月のおすすめ業者!

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