宝永通宝について買取相場など解説します
このページでは次のような流れで宝永通宝について紹介します。
- 宝永通宝の種類と買取相場
- 宝永通宝の買取相場を正確に調べる方法
- 宝永通宝の歴史
当サイトでは宝永通宝以外の穴銭についても買取相場などを解説していて、次のページで一覧で紹介しています。
動画にまとめていただきました!
宝永通宝の買取相場や歴史について当サイトも参考にした動画を作成いただきましたので紹介させていただきます。
宝永通宝の種類と買取相場

まず、基本的な宝永通宝の情報をみていきましょう
宝永通寶の価値と買取価格

宝永通宝の種類について
では、宝永通宝の詳しい買取相場を解説していきますが、まず重要な点として同じ宝永通宝でも書体などの違いによって、価値や買取相場が変わるという点です。
時代の古いお金なので、全ての「銭文」や種類を紹介する事は非常に困難なので、当サイトでは「日本貨幣カタログ」で紹介されている種類の宝永通宝の「銭文」を紹介した上で買取相場をまとめて紹介したいと思います。
- 宝永通宝「深冠」 - 「寳」の字の2画目が長い
- 宝永通宝「浅冠」 - 「寳」の字の2画目が短い
- 宝永通宝「直永」 - 永の字の縦棒が垂直になっている
- 宝永通宝「二字宝永」 - 宝永通宝の私鋳銭で、銭文が「永寳」

今回紹介した宝永通宝の中では私鋳銭ではありますが「二字宝永」の価値が圧倒的に高いので、この種類は見分ける事ができた方がよいでしょう。
画像のように「永寳」の銭文なので素人でも存在を知っていれば誰でも簡単に見分けることが可能です。
ただし、宝永通宝は他にも種類があり、状態によっても買取相場は変わってきますので、宝永通宝の買取相場を一覧で紹介した後に素人でも可能な正確に買取価格を調べる方法も紹介します。
宝永通宝の買取相場リスト
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銭文の種類買取価格
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宝永通宝「深冠」買取価格300円~1000円
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宝永通宝「浅冠」買取価格3000円~5000円
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宝永通宝「直永」買取価格5000円~10000円
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宝永通宝「二字宝永」買取価格60000円~150000円
宝永通宝の買取価格を簡単かつ正確に知る方法

上記の宝永通宝の買取相場リストはあくまでも目安ですので、正確な買取価格を調べる方法もご紹介します。
それは、古銭買取業者にメール査定を依頼する事です。
宝永通宝は写真があればかなり正確な査定が可能ですので、古銭買取業者の問い合わせフォームから写真を添付して送ることで、簡単に買取価値が明らかになります。
実物を見てもらえるメール査定は状態も考慮した古銭の正確な価値を知る為の最善の方法です!
特に、宝永通宝は種類と状態の判断も難しいのでメール査定にて正確な査定をしてもらう事をおすすめします。
そして、メール査定であれば買取は簡単に断れますのでご安心ください。
古銭をメール査定してもらう方法やおすすめの古銭買取業者は次も参考にしてください
宝永通宝買取におけるおすすめ買取業者を紹介
優秀な古銭買取業者に依頼をするだけで、特に手間をかけずにお手軽かつ安心に宝永通宝の高価買取が実現可能です。メール査定にも対応している古銭買取業者なので、穴銭の買取相場を知りたい際にもおすすめな古銭買取業者です!
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古銭買取福ちゃん
福ちゃんの古銭買取データ早見表 買取価格(古銭) 8.0点 買取価格(記念硬貨) 7.5点 顧客対応(サービス) 8.0点 対応のスピード 7.0点 -
バイセル(旧スピード買取.JP)
バイセルの古銭買取データ早見表 買取価格(古銭) 7.0点 買取価格(記念硬貨) 7.0点 顧客対応(サービス) 6.0点 対応のスピード 8.0点
宝永通宝の歴史

穴銭のひとつ「宝永通宝」とは、宝永5年(1708年)に発行された十文銭です。
それまで使われていた銅銭は、いわゆる”一文銭”なのですが、その10倍の額面価値を持たせて流通させた銅銭になります。
江戸幕府が開かれてから100年、最初のうちは金や銀が沢山産出されていたのですが、時代が進むにつれ、だんだんと枯渇していきます。
それに追い討ちをかけるように、外国との輸出入によって金銀が外国へ流出するようになりました(ハリス条約)。
その結果、日本国内の貨幣が不足してしまったことから、この宝永通宝が鋳造されることになったのです。
ですが、宝永通宝は主に以下の3点の理由によって、不評のうちに終わってしまった穴銭でした。
- これまでの銅銭は一文銭であったので、その10倍の十文銭は馴染みにくく、計算もしづらかった
- 宝永通宝は十文ということで、サイズも大きく扱いづらい
- 額面的には10倍の価値があるはずなのに、重量(量目)は3倍足らずしかないので、地金価値だと損をする
こういった背景から、宝永通宝はわずか1年しか通用しませんでした。
宝永通宝の鋳造を提案したのは若年寄の稲垣重富という人なのですが、「大銭を作りし人の名を問へば 元は稲垣 今ははじかき」などという落首(らくしゅ・風刺を込めた狂歌)が流行してしまう始末でした。